R32GT-Rの登場がハコ車のレースシーンを変えたように、チューニングの世界も4WD×ターボの登場で大きく時代が進歩した。それまでトラクション不足により速さに変えることのできなかったパワーをしっかりと路面に伝えることができるようになったわけだ。ここで紹介するのは、中でも記録に挑んで金字塔を打ち立てた4WDチューンドたちだ。GT-Rが圧倒的に多いのはそれだけ多くのチューナーたちが取り組んだ、当時の最強マシンだったことを物語っていると捕らえて間違いないだろう。

HKS CT230R[CT9A]

HKSらしい、やるなら全力投球というスタンスで、第一次タイムアタックブームを総括したのがHKSのCT230R。NOB谷口とHKSレーシングがタッグを組み、全国各地の主要サーキットを行脚し、記録を更新しまくった。しまもその速さは圧倒的で各地のサーキットでNOB谷口が叩き出したレコードは、その後10年以上も破られないものがほどんどだったほどだった。

HKS DRAG GT-R[BCNR33]

日本全国で社会問題にまでなっていたストリートゼロヨンを競技化し、クローズドコースで日本一を決めるイベントにまでまとめたのがHKS(ドラッグミーティング)。そのアイコンとも言えるHKSのドラッグマシンがドラッグGT-R。各種チューニングを追求したRB26は当時驚異的と言えた1300psを発生、ポートはストレート化され、エアシフターなども最初に当入したマシンだ。ちなみに7秒671はフリー走行時のもので、イベントでの公式タイムは7秒8が最速とのこと。

VeilSide R1 STREET DRAG MODEL[BNR34]

ニュージーランド発の公道最高速競技『ラリーニュージーランド1999』で、346.2km/hという金字塔を打ち立てたヴェイルサイドのR34GT-R。当時、無敵のパワーチューナーとうたわれた横幕さんが作り、Daiがドライブを担当した。RB26エンジンにはGT3540ツインターボとされ、1万2000rpm仕様で1460psを発揮。ちなみに、競技の日はウエットで最後まで踏み切れず。計算上は400km/h走行が可能なスペックであった。

Cyber Evo LANCER EVOLUTION VII[CT9A]

プライベーターチームでサーキット最速を目指し実現してしまった強豪サイバーエボ。代表の瀧澤さんは理路整然とセオリーを組み立て、当時まだ注目の薄かった空力の改善にも知恵を絞った。V-OPTのスーパーラップの常連で、その活躍は海外にまでとどろき、世界に遠征しタイムアタックシーンを広めた。最終的にはWTACへも遠征し2連覇を果たしている。ドライバーはターザン山田だ。

M SPEED Mスピード GT-R[BNR34]

当時、最高峰のGTマシンを彷彿とさせるメイキングで彗星のごとく現れ関係者を驚愕とさせたMスピードのR34GT-R。ドライバーもレーサーの田中哲也さんを起用するなど、徹底したマネージメントも行われ、そのスタンスはまわりのチューニングショップよりも完全に一歩進んでいた。CT230Rやサイバーエボと共に現在でも筑波ランキングにその名が残るレジェンド4WDだ。

Part.2へ続く